教育の政治利用はあってはならない

 痛々しい保健便り(1月号ww)がやっと完成し、朝、保健の先生に提出した。そして放課後、いつもなら社会科で保険部長のとある先生からお叱りと注意をいただくのだが、幸いなことにというべきか、今回はどうも忙しかったらしく、保健の2人の先生から幾つかのご指摘を受けるに留まった。誰かさんの素晴らしいネタ(やるおのAAとか、「大丈夫だry」とか、「これは重要なファクry」とか)もなぜかスルーされてしまった。とりあえず一安心である。

 その後古典芸能部室にて「古典芸能部A班」の部会()があったのだが、気心のしれた数人に絞ろうという当初の目的は果たせず、5,6人の男達が狭い部室に集まることになった。正直することもなく暇だったので4時には学校を離れた。そのような色々でなんとなくイライラしていたので、帰りにブックオフでまた本を買ってしまった。もう読みきれない。しかも全然進まない。机の上が未読の本で占拠されつつある。それはともかく、今日は本と一緒にCDも買った。米倉千尋さんのアルバムが750円だったので、つい。「WILL」と「永遠の扉」「嵐の中で輝いて」の3曲だけでもその価値はあったと思う。借りたい人は言って下さい。

 

 

 

 最近、国語や英語の文章が政治的な色彩を帯びている気がしてならない。

 例えば、国語でしつこくしつこくその文章を勉強した、「平田オリザ」について簡単に調べてみたのだが、驚くべき(予想通りといえばそうでもあるが)事実が明らかとなった。Wikipediaによれば(このような記事に関しては誤りがあるとは考えにくいだろう)、「2010年12月04日、韓国民団が企画した「第4回永住外国人地方参政権シンポジウムin鳥取」において基調講演を行い、在日韓国人の地方参政権付与に賛意を示した[2]」ということである。言うまでもなく、「外国人参政権」などというのは、日本国民としての常識が少しなりともあれば絶対に賛成などすることの出来ない政策であり、推進する人々には何かしらの思想的偏向があると言わざるをえないものだ。また彼は死刑制度の廃止をも目指している。最早完全な左翼であろう。参考までに、こんな物を見つけたので載せておく。

【政治】平田オリザ氏を内閣官房参与に起用

 ざっと見れば分かるが、どうやら朝鮮のことが大好きな方らしい。それならば「価値観の多様化」を妙に強く訴えて日本人の国民的団結を阻害し、伝統的な国民性を否定しているのも頷ける。「価値観が多様化」しているのをそのままに認めながら、「演劇的に」コミニュケーションして仲良くなろう、とはその時点で矛盾ではないか。分散していく価値観を出来る限り一本にまとめる努力をすることが重要だと私は思う。それを「認めて」演劇を見たところで何が変わるわけでもなかろう。現実逃避、敵前逃亡である。問題から目を逸らしているだけではないか。

 英語では、「対人地雷の撤廃」が強く訴えかけられている。これは別に、先生が選んで配ったものではなく教科書に載っていたものであるから、その点で云々するつもりはない。ただ純真無垢な中学生に対して、一方的に「地雷は危険」「地雷は怖い」「絶対に使ってはいけない」と主張してしまうのはいかがなものか。Chris氏の行いは素晴らしいと思うし、それを否定するつもりはない。カンボジアで戦争中に埋められた地雷を除去するというのは崇高な作業だと思う。しかし、それがそのまま「反・地雷」という精神になってしまっては良くない。我が国が侵略を受けたとき、海岸線の防衛に重要な役割を果たすと考えられているのが地雷なのである。いざという場合に使う可能性もある兵器に、教科書で否定的なイメージを植え付けようとするのは明らかにおかしいだろう。

 2007年6月10日の「産経新聞」から引用する。前半のクラスター爆弾については参考程度に。

 

 

クラスター爆弾禁止条約 

日本政府も賛成表明へ6月10日12時7分配信 産経新聞

 

(略)

 クラスター爆弾は(中略)ノルウェー、ペルーや国際NGO(非政府組織)は非人道的兵器として全廃を求めている。(中略)米国、中国は加わっておらずロシアもオブザーバー参加にとどまっている。 久間章生防衛相は「攻撃用にクラスター爆弾を使うことは100%ない」と語っている。ただ、日本政府は、敵の侵攻を「面」で食い止めるクラスター爆弾を、海岸線が長く、離島の多い日本にとって敵の上陸を食い止める防御手段として不可欠との立場だ。

 
 それでも政府が条約締結交渉に前向きにかかわろうとしているのは、平成9年、橋本内閣時代に小渕恵三外相(当時)の政治判断で対人地雷の全廃を決めた事態の再来を懸念しているからだ。 政府は当初、米中露不参加の対人地雷全面禁止条約の実効性は疑問として消極的だった。それが政治決断で条約に参加することになり、その結果、「北朝鮮、韓国を含めた周辺国すべてが廃止しない中で、日本だけが敵の上陸を食い止める能力を著しく減少させた」(陸自幹部)という。(後略)

 

 

 そう、我が政府は平成8年に「対人地雷禁止条約」に参加しているのだ。この条約は「米国は、朝鮮半島での例外使用が受け入れられないなどから、未調印。ロ、中、韓も未調印」というものである。当初から参加には否定的な意見も強くあった。それなのに敢えて政府が「政治判断」したのはなぜか。要は、「地雷は良くない」という単純な感情論や、左派の理想論に流された結果であろう。地雷の「危険性(地雷はそもそも兵器である。危険も何もあるだろうか。)」ばかりが強調され、左派マスコミが扇動した結果、良く良く考えもせずに地雷撤廃などという暴挙に出たのである。

 軍事的な国防上の議論もなく、中学生レベルの「かわいそう」で政治を動かすからこうなるのである。そしてそのような歪んだイメージを作り出しているのが、この度の英語の教科書のような話なのである。いざという時に、地雷がなかったせいで敵に上陸されて国が滅んだなどということになったら、一体どうやって責任を取るのか。少なくとも中学生の教科書、しかも社会ですらなく英語で学ぶようなことではないのではないだろうか。

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コメント: 1
  • #1

    kaijonet (月曜日, 07 2月 2011 20:59)

    そうそう、書き忘れたけど「モテ?モテ!」とかいうラノベを読み始めた。
    ハーレムktkr