幾ら何でも人少すぎだろjk

  放課後美琴は俺の嫁とサイゼリヤで昼食、のち本屋。例によって高田馬場のサイゼリヤに辿り着くためだけに大きく大きく遠回りして歩いて行った。

  高田馬場の広場の近くに建っている(駅舎の向かい側)ビルの3,4,5階にある、「芳林堂書店」という本屋を知っているだろうか。池袋のジュンク堂並に、と言うのはさすがに言い過ぎかもしれないが結構な大きさなのだ。目当ての本があれば大体手に入れられるだろうし、学校から近いのでアクセスしやすい。一度行ってみてはどうだろうか。もしかしたらみんな知っていて俺が情弱なだけかもしれないが。

 

  勉強が順調に進んでいる。宿題系もほとんど終わらせた。

  理科の範囲(物理除く)がいまいち不明瞭であるのと、未だ試験範囲を履修し終えていないというのが気になる点である。

  英語は「語句プラス」を使えば問題なさそうだ。

  国語Aは本を探して読むだけ。「鴨」をポチる時にいろいろと趣味の本(といっても真面目な本ではあるが)も一緒にカートへ突っ込んでしまえば、余り親に説明せずに欲しい本が手に入るので、国語A担当教師には感謝している。

  国語Bの範囲は良く分からない。「漢文超基本+古文活用+百人一首」というのは間違いないと思うのだが、古文の文章がどの辺なのか、徒然草はどこまでか(まだ作品紹介しかしていないのに今日は百人一首だった)など、不明瞭な点が多い。話を聞いていなかっただけという疑いも否定できないのだが。今日の国語の範囲についてのプリントも、「国語B 百人一首~」とあるだけで終わっており、②がなかった。そして漢文のテキスト(直前完成!3日間コース!的な)を今日買いに行こうと思って本屋で幾つか見てみたところ、今回の範囲に応じる部分はどの参考書でも最初の5ページくらいでしか無いという事実。さすがにもったいないので買わないことにした。どうにかなるよね。

  歴史は元禄・化政文化を覚えれば後はそれほど難しくないはず。いつも思うのだが、歴史の授業はどの学校でもペリーや明治維新で時間切れになるのに、なぜ近現代史から教えないのだろうか。縄文時代を学ぶのが無駄だとは全く思わないが、土器の形を覚えて直近の戦争を知らないというのでは困るだろう。明治維新、あるいは江戸時代くらいから教え始め、そこから現代までを優先的に学習するのが良いのではないか。またよく知らないが、我々の歴史の授業は今年で終わりだそうで、来年からは公民であるという。そして今年はペリーまでである。ペリー来航からが一番楽しい時代だろうと思うのだが、そこを捨てて歴史を終了させるのだろうか。なんとも悔しいことだ。

  歴史の授業といえば、「歴史(公民)教科書の偏向」というのもしょっちゅう話題になるものだ。「新しい歴史教科書をつくる会」という団体があるが、彼らなどいわゆる「保守派」の人々は、一致して歴史教育の見直しを唱えている。

  具体的に言うならば、いわゆる「太平洋戦争(正確には大東亜戦争)」に関する記述が必ず一方的な「自虐史観(日本のみが悪で、その他の国々が正義であった、日本はたくさん悪いことをした、というような歴史観)」になっていることや、「古事記・日本書紀」などの日本の神話・書物を軽く扱っておきながら「魏志倭人伝」など支那の文献は過剰に信奉すること、一貫して「支配階級VS虐げられる人々」という見方(マルクス主義による「階級闘争史観」そのままである)で書かれているため「一揆」をしつこくしつこく取り上げることなどである。そのような歴史教育を是正し、子供達が自国に誇りを持てるようなものにしよう、という動きがあるのだ。確かに、「日本は悪い国です」「戦前、中国や朝鮮・東南アジアの人々に酷いことをしました」というような 歴史を教えられてしまっては、日本へ誇りを持つことなど出来るわけがない。果ては「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」などに代表される捏造話までが堂々と記述される始末である。

  ところで、今使っている教科書の一番最後の本文を見て欲しい。歴史の教科書なのか共産党のパンフレットなのか分からなくなるような内容ではないか。「平和憲法を守って・・・」だとか「非核三原則を・・・」など、歴史で教えることなのか。憲法にしても非核三原則にしても、いつでも政治によって改正され得るものであって、永遠不変の制度などでは決してないのは自明だろう。また、教科書のサブタイトルに「未来をみつめて」とあるが、歴史を学ぶのに未来を見てどうするのか。良く分からない。

  何度も言うように、日本には世界に誇るご皇室が存在するのだ。歴史を一通り書いたのなら、最後にその点について触れるべきではないか。「我が国では神代から一貫して皇統が連続しており、これは他国には例をみないもので・・・」というくらいのことを書いても何らおかしいことはなかろう。それを知って愛国心を高めることこそ、歴史教育の目的の一つであるはずだ。

  教育は出来る限り政治的に公正中立でであるべきだ。このような「洗脳」は政府によって、文部科学省によって、規制されるべきであろう。

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コメント: 5
  • #1

    kt519 (日曜日, 27 2月 2011 19:45)

    勝手に他の人のコーナーに干渉するのは良くないと思うんだ。
    管理人ではあるし、自動再生が嫌いなのはわかるが、きちんとつぶやきで「最後」と書いたつもりだ。
    何故消した。
    何故3月まで待てなかったんだ?
    消したんじゃないんならスマソ。

  • #2

    kaijonet (日曜日, 27 2月 2011 22:01)

    何の話かわからんが
    kwsk

  • #3

    yk (日曜日, 27 2月 2011 22:25)

    貼ってあるじゃん

  • #4

    kt519 (日曜日, 27 2月 2011 22:49)

    >>2
    晩飯食った後見たらいつのまにか消えていた。
    >>3
    俺が貼り直した。
    知らないということは俺の思い違いか。スマソ。

  • #5

    kaijonet (日曜日, 27 2月 2011 22:54)

    まあいいや