最近「あ」が来ない

  勉強時間を3時間ほど削って「アヒルと鴨のコインロッカー」を読了。嗚呼、時間の無駄。つまんね。最悪。こんなの読む暇があったらもっとためになるものを読めたはずだ。

  ショーペンハウエルというドイツの哲学者がいる。彼の「読書について」という著作は読書に関しての古典であるのだが、その引用を(毎日のように触れていて恐縮だが)中川八洋氏が「正統の哲学 異端の思想」でしており、その言葉が気に入ったので孫ひきしてみたい(351頁)。

「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間とかには限りがあるからである」

「悪書は精神の毒薬であり、精神に破滅をもたらす」(岩波文庫版『読書について』134頁)

  もとの本はこれから読んでみようと思っているので、この一節でショーペンハウエルが言いたかった正確なことは分からない(捉え方が間違っていたら非常に恥ずかしい)。中川氏はこの言葉を引きつつ、ルソーやヘーゲル、マルクスら「危険で有害な思想家」の本など読まずにバークやトクヴィルなど「正しい思想家」の本だけを読め、と主張しているようだ。普通なら、「両方の立場の本を読みましょう」と教わると思うので(例えば、産経新聞を取っている生徒がいたら「朝日新聞も読んでみたほうがいい」と教師は言うだろう。ただ、朝日新聞を取っている人に対しては「産経も読め」とは言わないことが多いような気がする)、このような価値観はとても新鮮だった。

  と、このような考え方があるということを知った上で考えると、わざわざ伊坂幸太郎を読んだのはどうだったのか、と思わざるを得ない。もちろんこれは小説なので「読書について」は余り関係ないとは思う。しかし「アヒル」にはそこかしこに「外人差別」「日本はダメ、ブータンは良い」「男らしさ、女らしさはどうのこうの」といった政治的な話が絡んできた。気にし過ぎであると言われればその通りだ。間違いない。最近はこのような弄れた読み方しか出来なくなっているのだ。ただ、ゴキブリ(もとい「G」)さんが指摘していたことが事実であるのなら、「ゴールデンスランバー」も作者のおかしな意見が主張されている小説であるようだ。伊坂氏が自分の小説でなにを主張しようと勝手だが、それを生徒に読ませて試験に使うというのはいかがなものか。せめて読ませるにしても「人間失格」だとか何かもっと「古典」的な小説があっただろう。敢えて現代の流行小説家を起用した意図が不明である。「正義」について考えるなど、どう考えてもこじつけに過ぎない。どうせならこの間まで流行「していた」、マイケル・サンデル氏の「これからの正義の~」でも読ませれば良かったのだ。

  こんな不満を抱きつつ、神経の表を暗記しようと試みた一日であった。