疲れた

  現代文も歴史も余裕(こんなことを書いて黒歴史になったこともあるが)。周りの人もそう言っていた。

  国語Aは問題読みにくすぎ。「メロス」の最初の部分とそこに線を引いて出されている問題とが同じ紙の裏表にあるとは一体どういう事だ。あの形式に怒りを覚えた人は俺だけではないはず。理科2のように冊子状にするか、あるいは表だけに印刷すれば良いのではないか。紙がもったいないという気もするだろうが、授業で平田オリザの文章を1つ減らして代わりに教科書を使えば、平田の本をコピーしたプリントが減るので問題ない。国語Aのフォントは大好きだ。しかし今日の読みにくいテスト用紙は勘弁して欲しい。他は、漢字と読書クイズの異常な低難易度に驚いたくらいだ。

   歴史ムツカシイ( ・´ω・`)。最初の記述は字数が埋まらず。それにまさかあの不自然な試験範囲をしっかり出してくるとは思わなかった(琉球使節のあれ)。だが、(個人的に「フェートン/モリソン号事件」と並んで今回最大の「難しさ」だと思った)「海舶互市新例」すら出さず、記述も最初以外はそれほどでもなかったので、全体的には難易度が低い感じだった。平均点高そう。 

 

  寺子屋さんが「アヒルと鴨のコインロッカー」から真面目に正義について考えていて感動した。別に「彼が考えたから」それを馬鹿にしているというわけではない。念のため。あんなものを読んで(読まされて)それを考えた人は恐らく他にいないだろうから、真面目な子だな、と尊敬混じりに思ったのだ。

  しかし、「絶対的な「正義」などは存在しない」「『正義』の概念とは人それぞれ」という結論はいただけない。これはいわゆる「(価値)相対主義」という思考であろう。

  このような思想は近現代において世界中に跋扈しているし、たとえば平田オリザ氏の「価値観の多様化」は「必然的」で「良いこと」という言い方もそれである。もちろん、各個人の嗜好やその他の価値観に関しては、「正しいとか間違っているとかではない」と言うことも出来るだろう。あるいは、学校教育において何かしらの議論のあるテーマとその両論を説明して、「これはどちらが正しく、どちらが間違っているということではありません」と(この間の国語Aでも、「日本的な社会と西欧的な社会」を比較してそのようなことを言っていた。これはいわゆる「文化相対主義」である)教えるのも分からないでもない。生徒にある意見を、特に政治的な特定の主張を教えるのは好ましいことではない。

  しかし、それ以外の場所で何かの問題についてこのような考えをとることはあってはならない。具体的に言えば、たとえば「憲法9条は改正するべきか」とディベートさせておいて、最後になって「これは両方が正しいのです」などと言っても何の意味もないだろうし、結局ところこの問題には「改正するべき」という正しい結論が存在している。少し思想的なものであれば、「何の理由もなく人を殺してもいいのか」「共産主義と自由主義はどちらが正しいか」と言えば、これは誰しも簡単に結論を出せるだろう。

  「相対主義」については、数多くの著名な思想家によって既に批判されている。自分はそれを知り尽くしているというわけでは全くないし、思想家ですらないが、他人の考えた批判を引用し、真似ることは出来る。よって、相対主義に関する代表的な批判を剽窃してみることにする。

  第一に、相対主義はそれ自身に対して適用すれば全て崩れる、という点である。「どんな価値観(正義)もそれぞれ正しい」と言うのなら、その主張自体は「正しい」のだろうか。そうではない考え方(絶対的な価値観は存在する)も正しいのだろうか。そうであれば相対主義は崩れ去る。これは要するに「矛盾」である。

  第二に、相対主義をとる限り、道徳や常識は廃滅するということである。たとえば、「ヒトラー」は?本当に、全体主義体制は「民主主義」より悪い、と言えるのか。もしかしたらスターリン主義も自由主義もナチズムも民主主義も全て同じくらい正しいのではないか。人を殺すのもあるいは正義かも知れない。他国への侵略もそうだ。普通の人間なら、そんなことはありえない、と言うだろう。絶対に全体主義は自由主義よりも劣っている国民の自由を侵す体制であり、人を殺すのは基本的にいけないことだ。それで正しい。しかし相対主義者からすれば、それらは否定できなくなるのである。そんな非道徳非常識な思想が本当に正しいのか。

  第三に、絶対的な「真理」は存在する、ということである。まだ人間には見つけられない、あるいは絶対に見つけられない「真理」がどこかに存在し、そこへ辿り着くのが人間の使命であるとするのだ。そう考えれば、決して価値や正義はたくさんあるなどと言えないだろう。その真理にどれだけ近付いたかによって価値の正しさがき決まるのである。
  とりあえずはこのくらい。相対主義など、ニヒリズムと似たようなものだとしか自分には思えない。国民がみなこんなことを言い出したら、社会は道徳崩壊の中で破滅する。だいたい、すべての常識や道徳を否定してしまったような人間は恐らく生きて行けないだろう。何も信じられなくなって狂人になるに決まっている。みなさんも、こんな狂った思想に染まらないほうがいいと思う。それこそどこかの赤い教師の思うつぼだ。